◆お札(オサツ)と言えば、お寺の祈祷札や千社札等を連想しますが、江戸時代から明治時代初めにかけて金銀銭の三貨の他に地域限定の紙のお札が流通していました。
お札が流通している地域では原則として三貨は使えません。
現在日本から海外へ旅行する場合、外国通貨と交換して旅行しますが、江戸時代の社会においても同じような事が行なわれていたのです。
次にお札を発行している領国の多くは経済状態は悪く、その打開策として、お札を発行しました。
つまり外貨を稼ぐのに領内の商取引を札のみに限定する事により金銀は領内に吸い上げられ、役所に退蔵されるしくみになっていました。
そのお金は、中には不正に使われたかもしれませんが、普通は財政再建や領国運営等に利用されました。
このように一方的な領主権力で発行されたお札は、領内の町民はもとより旅する商人や旅人にとっては、常に経済状態で左右される交換レ-トの違いで随分苦慮したと思います。
◎いつの世も同じような事で世情を騒がしています。
それはあとを絶つことのないお札の偽造事件です。
江戸時代もあの手この手を屈指して偽造を防ぐ工夫をこらしています。
現在我々が使っている日本銀行券にも使われている技術でありますが、当時のお札にも透かし技術が取り入れられていました。
江戸時代の透かし技法には白漉(凹漉)と黒漉(凸漉)の二つがありました。
この技術はさらに磨きがかかって、より高度な技術として現在に継承されています。
その他に和紙を漉く段階で糸くずを入れて漉いたり(蝦夷松前藩)、漉入れ時に雲帯模様を入れたり(摂津三田藩)、またお札の裏面に西陣織の裂を貼ったり(陸奥仙台藩)、紙に土を混入して漉いたり(現西宮市名塩)しています。
印刷の段階でも版木にかくし文字(陸奥盛岡藩等)や刷りを二色に色分けたり(因幡鳥取藩)、印刷インクを墨ではなく、西洋インクを用いて印刷(薩摩鹿児島藩や紀州和歌山藩等)したり、印肉の材料を朱や墨ではなく漆を使用(但馬地方や丹波地方のお札)するなど各地こぞって、努力のあとがうかがえるお札を発行しています。
しかしいつの世もそうであるが、偽造は止まらず、現在も続いているのも皮肉な話です。
紙幣や貨幣の偽造は今も昔も繰り返えされています。
今は文明が進んで精巧なものが作られていますが、江戸時代の社会において贋造は重罪であったのにもかかわらず、止まなかったのも、いつの時代にもある世の中の歪みを感じます。
◎江戸時代の贋札や贋造貨には町民が関わったものと権力者が関わったものがありました。
町民が造って贋造が発覚すると、当時の法律では打首獄門で、罪は家族親類まで及びました。
権力者の指示で造り、後に発覚すると、時代劇でもよくある話ですが、下の者に全て罪を被せられ、裁かれ、事の真相は闇から闇へ葬りさられました。
このような贋札、贋造事件で有名な話は、福岡藩の贋札、贋金事件(領主の指示)や加賀大聖寺藩の贋金事件(領主の指示)等外様大名に多いのも特徴です。
皆さんがご存じの天保銭も幕府が造ったものを写して、薩摩や土佐や山口などで造られました。
当初幕府は隠密を派遣して探索に乗り出しましたが、西南諸藩こぞって造ったので、追求できずに終わっています。
西南諸藩によって密造された天保銭が倒幕の資金に使われたのは、因果なお話です。
◎江戸時代のお札にある図柄はほとんどが吉祥を表しており、これはお札がいつまでも人々に愛され、よく使われる事を願った意をこめてめでたい図柄を入れたと考えられます。
図柄で多いのは大黒天、宝舟、弁財天、七福神で、絵柄は精巧なものが多くみられます。
これら絵柄には狩野派、土佐派、四条円山派等の画家が下絵を担当している例もあります。 そこで現在のお札に関するエピソ-ドについて触れてみると、我々が今使っている千円札の肖像に夏目漱石が使われていますが、お札にある漱石は真っ正面を向いています。
実は現存する漱石の肖像には真っ正面を向いたものは全くなく、みな首を傾げているものばかりです。
それをそのままの姿で採用すると、お札が傾く、つまりは経済が傾いて縁起が悪いとの意から、かたむいている肖像を真っすぐ直して、下図を描き直したという話を当時、印刷局の方から聞いた事があります。
お札発行の裏話としておもしろいですね。
昔も今もお札にかける情熱には並々ならぬ努力があったのですね。